2016年12月17日土曜日

針灸・覚え書き「寸関の数脈と尺中の遅脈」

 
 
 数年振りの胸膜炎で、夜も眠れないほどの激痛に苦しんでいた鍼灸師学科の学生さんを、二日連続の針治療で改善できた。
 
 ご本人の経験則を上回る早さで治まったとのことで、大変喜んでいただけた。
 
 二日目の夜は、横になって熟睡できたとのこと。
 
 ただし、一日目の夜は、深夜に痛みがぶり返し、座位で耐えるしかなかったとのことだった。
 
 それでもその人は、自分で応急の井穴刺絡をし、痛みを軽減してしのいだ上で、二日目も信頼して僕に任せてくださった。
 
 普通の患者さんなら、もう病院へ行っていただろう。
 
 特別な事情をお持ちで、針灸などに頼るしかない患者さんだった。
 
 つまり、二度目の機会は、あらかじめ信頼と事情があったからこそ頂けたもの。
 
 針灸に疑心暗鬼な人に対しては、一回で決めきらねばなるまい。
 
 針灸がこの現代で認められるには、抗生物質などの効き目に圧倒的大差で勝つ必要がある。
 
 僕が針灸とは無縁の患者なら、それを期待するだろう。
 
 幸い、この件のお陰で、次なる高みへの糸口はつかめた。
 
 一回目の施術後、痛みが引いた後でも残った「寸関の数脈と尺中の遅脈」というギャップをこちらが埋めきってから帰宅してもらえば、ぶり返しは防げたはずだ。
 
 西洋医学的には理解しがたいことだが、手首の近辺では脈拍は速く、手首の際から数センチほど遠いところでは脈拍は遅いという現象が起きていたのだ。
 
 金匱要略における大黄牡丹湯の条文を思い出す。
 
 脈の遅速で、内臓の化膿の有無を判断しようとしていた。
 
 「寸関の数脈」は炎症の継続を意味していたのかも知れない。
 
 ならば、その遅速の差をその場で埋めきる手段を見付けることが、意味を持つはずなのだ。
 
 

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